黄色い豚@日立柏酒場裏(ライブドア・ブログ公開版)

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 被災者側ではありません。関東でのあの一日を振り返るものです。私の会社や仕事が明らかにならない様にぼかしてあります。

 この当時、私は、朝4時50分頃に起きてた筈。冬なので、若干ぐずぐすと蒲団の中にいたかも知れない。でも、暖房があるので、そんなに寒く感じていなかった筈。

 1995年朝の5時46分だったか、47分だったか、日本テレビの朝天を見ていると、俄にアナウンサーが慌ただしくなり、「静岡方面で大きな地震が起きた様です」と伝えた。間違いない。「静岡方面」と言った。これは、後で明らかにされた事なのだが、関西方面の観測情報がオンラインで届かず、一報は静岡方面と間違えて発表されたのだ。今と較べると、オンラインで結ばれた地震計も少なく、それらの情報が欠けたための気象庁の失態だった。この後、地震計も設置され、それらがオンラインで気象庁に情報が集まる様になった。オンライン自体も強化され、新潟県中越地震でもまだオンラインに問題がある事が判ったので、地震計自体とオンラインが更に強化されている。アナウンサーの名は直ぐに思い出せないが、子供の頃バグダッドで過ごし、イラン・イラク戦争で日本に帰国してきた経験を持つ女性だった。結構落ち着いて話すので、好きだった。千葉県柏市では、全く揺れなかった(私は揺れを感じなかった)。
 で、こんな状況だったので、それほどのオオゴトとは思わなかった。それから朝風呂に入り、出社した筈。

 出社(東京)したら(朝08:30頃だったかな)、会社ではタイヘンな状況になっていた。何故かTVが点けられ、流しっぱなしになっていて、人がその前に集まっている。で、ヘリコプターからの映像で、高速道路の崩壊やら、火災やらを伝えていた。

 この会社は、大阪、神戸の人員はごく僅かだったが、どうなっているのか全く情報が無い。電話回線は繋がらない。けど、会社のコンピュータ(メインフレーム)の全国へのオンライン回線は一つも落ちる事なく、信号を返して来ていた。大阪・神戸からも。オンライン専用回線と云うものは、NTTなどとの契約上、いくつかのグレードがある。常時状況をNTTなどの通信会社がモニタしているものもあれば、トラブル発生時に対応するものもある。トラブル発生時の対応をどれ位の時間内でやるかの約束でもグレードがあり、それぞれ料金は違う。この会社は24時間常時監視で契約していた。
 オンライン端末の電源が入れば、東京でも判る。で、何か動きがあれば、全国オンラインってものは何を入力したかも把握出来る。 電源が入っている端末はあったが、24時間点いている事も考えられたし、人がいるのかどうか、判らないままだった。事務の担当はまだ仕事を始めていないのか、特に入力は無かった。
 コンピュータ担当部門がまずやったのは、注目させる為、神戸、大阪の端末で、新たに電源が入った端末や、既に電源の入っている神戸、大阪の端末からビープ音を出す事だった。でもって、端末にメッセージを表示。通常は許されないエディタ(プログラム登録用)編集権限をこの端末に解放し、これらの端末を通常使っている人には全く不慣れなエデイタで通信する事を考えた。が、急にエディタが出たって、素人が扱うのは無理だって事は誰の目にも明らか。でも、ここで電源を落とすとか、の動きがあれば、少なくとも人がその前にいる事は判る。
 で、コンピュータ担当部門は次に考えたさ。急遽、オンライン・プログラムを書き換えて、神戸・大阪の端末で安否問い合わせの画面が出る様にプログラム変更を始めた。ここの会社の環境は、コンパイルし直す事でオンライン・プログラムが変わるのだったか、電源を落として再起動する事まで要求されるのだったか、記憶には無い。電源を落とすタイミングは、全国の仕事の状況を考えると、昼休みしかなかった筈だ。とにかくコンピュータ関連部門はプログラム変更作業を始めた。
 そうこうするうちに、総務部門に電話が入って来た。朝10時30分頃だった筈。取り敢えず、会社は無事。特に大阪は直接の影響は無し。神戸も(こちらの連絡は遅れたと聞いたが)会社には影響は無く、まだ火災も影響がある様には、見えないとの事だった。が、社員で出社していない者がおり、連絡も付かない者がいる、との事だった。

 私は、この事業所を昼前に後にし、埼玉県の事業所に向かった。埼玉県の事業所では、昼一で小田原から出張して来た人達と一緒になった。曰く、「朝一で訪問出来る筈が新幹線が停まっていたので、遅れた」との事。小田原(神奈川県)では揺れを感じた、とか、電車(私は最初新幹線が停まったと聞いたと思っていたのだが、振り返って考えると、在来線だったのだろう)が停まった、とか言っていた。
 私の記憶では、夕方この埼玉県の事業所を後にし、夜は朝と同じところに戻った様なイメージと、電車から夕方見えた富士山がやたらキレイだった様なイメージがあるのだが、ホントにこの日だったのか、自信が無い。

 午前中いた会社では、夕方には社員の安否確認がやっと完了し、翌朝には社員の家族の安否確認(一応、全員命に別状無し。負傷した者はいた)も、やっと完了。翌日の午後辺りから社員の関係者(親類縁者)の死亡情報なんかも入り始めたとか。
 午前中いた会社(産業機械メーカー)って、災害対応を長年の経験から、売りにしてもいる会社だったので、夕方には大阪から先遣隊を出し、東京からも大阪に応援隊を送り込んでいた。飽くまでも、営業対応なんだが。戦後すぐに戦災で壊れた機械の修理を優先して行ったところ、非常に受けがよく、今に続く優良ユーザになっているからとか。
 方針としては、

① 目的は、ユーザ訪問と機械のメンテナンス。
② 危険なところに乗り込む様な事はせず、飽くまで安全地帯で仕事をする。
③ 安全地帯にあるユーザが生命の危機にある場合は、①に関わらず、手助けをしてもよい。が、自社の機械に関係ない財産(火事などを想定してるんだろう)などの問題であったときは、お見舞いを申し上げて、速やかに次のユーザに向かう事。
④ 先遣隊は、状況を速やかに会社に連絡し、会社側でバックアップ体制を以て対応する(電話が繋がらないときなんかはどうするのか?は、よ~知らん)。

なんてところだったかな。ちょっと冷酷とも思える方針なんだが、非常時はこれくらいの優先順位を付けるのは致し方ないと思うし、ユーザには有り難かった筈(って言うか、明らかにユーザの感謝とロイヤルティの向上を狙ってる訳なんだが)。それでも、ユーザ対応に目処が付くまで1ヶ月以上かかったって事だった。ユーザ側の受けは上々で、感謝状もいくつか届いたとか。この会社、新潟県中越地震や、その前の三条(新潟県)辺りの水害のときも(まあ、どんなときでも、ってのが会社の方針なんだが)同様の対応をしたらしい。


 事件を直接述べるものではなく、捜査の周辺事情についての記事です。ソースは伏せますし、特定を避ける為、若干ぼかしますが、ウソは書いてない積もり。

幼女4人誘拐殺人、宮崎被告の上告棄却…死刑確定へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060117-00000006-yom-soci

 宮崎勤の逮捕前日まで、警察は他の容疑者と目された人間に対する捜査も継続していた。その中に、某社の営業マンもいた。営業車は、白い車で、目撃車種(トヨタ・カローラだったかな?)と同じ。担当地域はぴったり重なる。そして、疑いが晴れなかったのは、その人間の出勤簿、営業日報がまるまる空白だったからだ。車種が同じで、報告は不充分。空き時間で犯行を犯すのは、充分可能と思われた。出勤簿については、通常は、1ヶ月の締めの際に、営業の事務担当の社員(女性アシスタント)が埋める慣行が続いていたそうだ。
 その会社では、総務部および上司は、自分たちに対する事情聴取があったお陰で、この人間が重要参考人である事を知る事になった。で、会社側がとった行動はと言えば、会社全体に対して報告書の徹底を通達すると同時に、この重要参考人に対して訓戒として社内待機で仕事をさせる事だった。この事によって、新たな被害者が出るのを防ごうとした。

 あまりに偶然だったのは、この会社の関係部署に、約20~30年前に、幼女誘拐事件で伝説的な働きをし、今もその名が語り継がれる名物刑事の息子が働いていた事だ。恐らく、その刑事の名は、当時を生きた人間ならば思い出せる人も多い筈。また、その働きぶりはその後生まれた人間でも聞いた事のある人間が多いほどの人である。
 刑事の長男は、学生運動で逮捕歴があったにもかかわらず、この刑事の名声故に警察に入る事が出来(所謂コネですね。民間会社でも、逮捕歴があると、その長男の就職当時は、一流会社への就職は難しかった)、この事件当時は幹部となっていた。次男が、この重要参考人と同じ会社の、奇しくも関係部署で働いていたのだ。この関係を知ったとき、私は何と云う巡り合わせかと思ったものだ。

 この重要参考人への疑惑が晴れたとき、この会社では、その人間に初めて事情を説明すると同時に、改めて報告書、出勤簿の徹底を図ったそうだ。その後、1990年代に、この会社はIDカードを使った、当時としては先進的な工数管理・就業管理・食堂管理システムを構築する事になる。この件も、その遠因の一つだったと聞いた。

 警察の捜査と言うのは、誰にとっても、そう愉快なものではない。今でも、2005年の広島での幼女誘拐殺人事件(日系かと伝えられるペルー人が段ボールに遺体を詰めて捨てた事件。この被害者は広島に引っ越す前は、千葉県民だった。ご冥福をお祈りします)で、周辺住民が「容疑者扱いされた」と憤っていたが、致し方ない。シラミツブシの捜査が必要な場合も少なくない。若干の不便は仕方ない。刑事コロンボに拍手する人が多いが、あれが真犯人でなく、自分が身に覚えのないまま、アリバイ(不在証明)が無いまま(刑事コロンボでは必ず、確固としたアリバイがあるが)、取り調べ続けられたら、どんな気持ちか?と考えたらよい。ついでに、その捜査の過程で、捜査機関が易きに流れると、松本サリン事件の様に冤罪(あの場合は、起訴はされなかったが)を生む事に繋がる。心しておくべきだと思う。


甲府「探検J1」スローガン掲げ始動
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20060117&a=20060117-00000047-nks-spo

柏を破ってJ1に上がったチームだから頑張って欲しい。この3年間(実質2年間か)、J2→J1に上がったチームで一年で降格したチームは無いんだし、今年、山梨県全体でヴァンフォーレに対する期待も盛り上がってる事だし。
しかし、静岡県がキャンプ地とは…山梨県内だと寒いのは判りますが、エスパルスのサテライトチーム扱いを受けていた歴史を思い出します。
甲府は、最終的には現メンバーの熟成ぶりから、補強などでメンバーを変える事自体がリスク(El Golazo)とさえ言われたチームなので、ホントに頑張って欲しい。

追加情報:2006年1月18日発売のEl Golazo(コンビニで売ってる赤っぽい色の紙のサッカー専門新聞)は第2面が一面全部を使ってのヴァンフォーレ甲府始動特集です。1月19日午後3時くらいまでは、コンビニで売っている筈。


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