黄色い豚@日立柏酒場裏(ライブドア・ブログ公開版)

https://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda からhttps://reywa.blog.fc2.com/ (2019年8月29日以降の私のメイン・ブログ)に移行したデータを用いて、更に、ここに移行しました。 データの由来(成り立ち)の詳細は、http://reywa.weblog.to/archives/5241451.html を ご覧下さい。 FC2ブログから毎月のバッチ処理で当ブログにデータ移行している故、FC2ブログで追記のある記事などは、こちらに反映されていない事が多々あります。ご注意下さい。

 ここでは、My statementとは異なり、何かの事件や記事に対する意見を載せます。外部的な何かに対応してのものと云う点がMy statementと異なります。(My statementはMy viewと直した方がいいのかな?)


 田中角栄氏の手法に象徴される「過疎地に道路を」がある意味無駄の象徴としてTVなどで報道される事もあります。例えば、60軒しか住んでいない土地にトンネルを通した、とかの例です。

 この事は報道の視点以外に、2つの考えなければならない側面を持っていると考えます。
 一つは、人権の点やそこに住んでいる人間の生活の点。これを考えなければならない事は誰しも反対出来ない事と思います。問題は比較衡量、バランスだと云う事も。
 で、もう一つハカリに加えておいて欲しい重りがあります。それは、国土の付加価値と云う重りです。国土は、今後、そう大して増える見込みはありません(唯一の例外は、地層構造を調べる事による経済水域の確定であり、これは条約上、期限のある問題です)。であれば、国土の生産効率を高めて行く事も大事な要素です。文明の滅亡は、人口が集まり、高度化した際に、基本的な生産に携わるよりも金融などのサービス産業に就業人口が偏り、文明の基本的な生産力が落ちて来て、人口全体を支える生産力が維持で出来なくなる事だ、との意見もあるほどです(官が担っている事業が、この寄生虫産業【言い方悪いけど】の方に属する事は言うまでもありません)。勿論、現在の世界では生産力全体はグローバルに考えなければならないものでしょう。しかし、日本としての生産力の効率は考えておかなければならないところです。
  そこに人が住んで農業なり林業なりをしている限り、また通勤しているのでも間接的には、その地域の生産力を支えて行く事になる。この視点での数値化はまだ困難でしょうが、この視点での衡量もせひお願いしたいところだと考えています。

未成熟な感想:日本の将来に関して、私が懸念するのは、アルゼンチン化。一方的な見方ではありますが、20世紀初頭に世界有数の豊かな国であり、第2次世界大戦後も冷凍船の投入などで豊かな国だったと思われるアルゼンチンが、何故、一時期、軍事政権などを抱える国になってしまったのか?そして、一部の富裕層と多くの貧困層を抱える国になったか?(これこそが軍事政権の成立基盤かも知れませんが)。私はアルゼンチンの歴史には詳しくないのですが、世界有数の富裕国であっても、100年後も経たないうちに、困った国になっている可能性は大きいのです。でも、国家はそんな状態でも文化は爛熟して、サッカーは強くなるかも知れん。これからアルゼンチンの歴史などをもっと勉強して行きたいと思ってます。


 この書庫の名は、「効率的な日本を作る為に」どういう政府を作ればいいのか?って事です。

 inputとoutputに着目して論じて行きたいと思います。高齢化の進む日本では、効率的な政府を作る事こそが一番の課題だと思うから。また、景気を論ずるだけでは、どっかに宝を埋めて国民に探させるだけでもGDPは上がる、と云った論に傾く事もあり得ます。本来のoutputは何か?にも注目して行こうと思います。自民党のスローガンは「官から民へ。小さな政府を」で、民主党の方は前原氏の言では「高福祉(サービス)小負担社会」だそうですが、長期的には、サービスや福祉の水準を云々するよりは、先ずは効率に着目した方がいい様に思う。サービス水準は、財政要因で、ある程度、許容度が決まって来るでしょうから。
 政府が効率的なものであれば、民間は市場に任せておけば、効率化して行くとの思いが前提にあります。

 この為には補助金行政を止める事も必要でしょう。一つの事を2段階なり3段階なりの行政に任すのは無駄そのものです。が、一方ではNPOなどが公的な福祉を担って行く方向もあるので、そこへの補助金は必要かも知れません。いずれにしても、オペレーティング・コストの削減は必要です。
 そんな事どもを考えて行こうと思ってます。


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