さて、2006年の8月15日は朝から騒々しい日となった。朝のNHKニュースは、BS2に限っては、北朝鮮のミサイル発射の日でも朝07:30から「純情きらり」をやっていた(地上波は翌日送り)のだが、今日は、地上波と同じくニュースを08:13まで延長して「純情きらり」は08:15~になった。当日の編成責任者の判断ではあるけれど、そんなニュース価値無いとは思うんだけどね。実況中継するほどのものか?
 て事で、ニュースは小泉純一郎、一色。終戦記念日で戦争を偲ぶ雰囲気は消え去ってしまった。小泉純一郎らしい、勝手な思い込みなんだが…まあ、最後まで論争を起こし、目立っているところは小泉らしい。でも、全体像を持ってないから、思い込みで動く。
 かつて厚生大臣(戦没者関係の担当省庁ですな)のとき省庁改革で「厚生労働省なんて名前はダメだ。このままでは閣議で署名を拒否する」なんて言ってゴネた挙げ句、対案もなく、そのままになっちゃった事を思い起こさせる。厚生労働省なんて、一緒になった事で出来た政策は、と言えば、職場の分煙しか思い浮かばん。それも大切な事ではあるけど、さ。
 小泉純一郎は、自分の思いを貫いた。周りの迷惑かえり見ず。

 ところで、安倍晋三は、靖国参拝について「行ったか行かなかったか、行くか行かないか、は言わない」そうだ。信教の自由なんかを主張するんなら、この態度は小泉より大人だ。
 けど、小泉が政治問題にしちゃった後で、その態度は世間様に認められるのかな?私は認める気にならん。安倍晋三に関しては、その歴史観や国家観が私は問題だと思っている。
 山谷えり子と言う国会議員がいる。かつて民主党から立候補し、国会議員となったが、落選するや今度は自民党から立候補した人。この人は、安倍晋三とジェンダーフリー糾弾や靖国参拝で行動を共にして来た人(ついでに言うと、弁護士法違反・組織犯罪処罰法違反で起訴されてる西村真吾・衆院議員からは「盟友」呼ばわりされている)だが、2006年8月13日の午前10時台のTV朝日の番組に出演していた。田原聡一朗は、この人の意見を「一番一生懸命に話していたので、説得力があった」と評価していたが、私は田原よりこの人を頻繁に見ている。いつもの話し方と比較してみると、今にも泣きそうな顔で、暗記して来た様ないつもの話を一方的に喋っているだけだった。他人が話しているときは、反応する余裕も無いので、能面を繕っていた。この山谷の意見をよ~く聞いて、一つずつ反論して行けない人がいるのは情けない気もしたが…TVに馴染まないやり方かも知れないが、阿部知子(社民党)はもう少し頑張って欲しかった。公明党は、きっちりと話していたが。
 山谷の意見(安倍晋三も実は他のところで同じ事を言っている)では「東京裁判はアメリカに押しつけられた」ものだが先の戦争については「歴史に敬虔な態度を取り、判断しない」そうだ。15年戦争(山谷なんかは、大東亜戦争と呼ぶのだろう)はデカ過ぎるので、判断はせず、東京裁判は判断するのか?明確な二重基準。こんな卑怯者の言う事を私は尊重する気にならない。何を卑怯者と見るか?は人によって異なるだろうが、私は、この連中を卑怯者の最たる者と思っている(安倍晋三も、この点に於いては同じ)し、若干カルトの臭いも感じている。
 おまけに、先の戦争は「避けられない戦争であった」なんて話を聞くと、まるで今の北朝鮮執行部の意見を聞いている気になってしまう。

 私は、こうした連中、日本会議に集う連中の歴史観を「逆ギレ史観」だと思っている。こうした連中が「自虐史観」と対立する歴史観を非難しているが、自立する為に、逆ギレしちゃ、仕様があるまい?自虐は周囲に合わせる余り、一方的に自分を攻めるが、それは自分をきっちり見ている事ではない。周囲は、迷惑なそいつを励ましてやるなど、本来不要の手間がかかる。
 けど、逆ギレは周囲にとって、単に迷惑。 

 安倍晋三の歴史観は、少なくとも、言っている事を聞くだけでは、こうした連中と大差ない。「構造改革」(何を実際にやるのか?は安倍は殆ど言っていない)を継続する為に安倍に政権を委ねるのなら、参院選は民主党を議席首位にしておいて、他の分野での暴走を防ぐしかあるまい(それでも衆院の過半数を自民党が占め、公明党との連立で衆院の3分の2を占める限り、与党の意見は通る)、と思う今日この頃…。

 靖国に参拝するか、どうか?それも、8月15日なのか、どうか?なんて…問題が矮小化されちゃったもんだ。そんな事が一番大きな問題じゃないんだが…。