2020年5月9日、前日放送の「チコちゃんに叱られる!」の録画を見ていて、「チコ」って実際に呼ばれている女の子がいるとしたら、本名は何なのだろう?って考えた。勿論、そのまま本名もチコって子もいるのかも知れないが(数年前からの命名には、ホントにいそうな気もする…)。

 で、チコの本名の可能性として、サチコを思いついた。で、「さっちゃん」の歌も思い出した。

さっちゃんはね 

さちこって 言うんだ ホントはね

だけど ちっちゃいから

自分のこと さっちゃんて呼ぶんだよ

おかしいな さっちゃん



が1番の歌詞らしい。「おかしいな」の部分以外は、私の記憶は正確だった。

 で、ここから展開してみる戯(ざ)れ歌。ど~でもいいんだけどね(笑)。


チコちゃんはね

サチコって言うんだ ホントはね

だけど ちっちゃいから

自分のこと チコって呼ぶんだよ

ぼーっと生きてるね チコちゃん



チコちゃんはね 

もぉっとちっちゃいときは ホントはね

ほかの人から さっちゃんて呼ばれてたんだ

出世した? チコちゃん(この部分「さっちゃん」でも可)



(あの「チコちゃん」以外のサチコ)

チコちゃんはね 

もぉっとちっちゃいときは ホントはね

ほかの人から さっちゃんて呼ばれてたんだ

テレビの所為(せい)ね チコちゃん(この部分「さっちゃん」でも可)



(いい年したサチコ)

チコちゃんはね

ちょおっと前まで ホントはね

ほかの人から さっちゃんて呼ばれてたんだ

テレビの所為(せい)ね チコちゃん(この部分「さっちゃん」でも可)



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 この「サッちゃん」の本来の歌詞を検索する過程で、4番以降に替え歌とも取れるものを付加したものがあるのを知った。これは、日本の歌の五七調にも原因がある。多くの歌が5と7の音節の数によるリズムを以て構成されている為に、簡単に歌詞が創造出来、また、他の歌の歌詞がそのまま他の歌に当てはめる事が出来たりする。

 例えば、水戸黄門の歌(「人生楽ありゃ、苦もあるさ~♪」)のメロディラインをそのままに「どんぐりころころ どんぶらこ~♪」の歌詞を歌い切る事が出来るし、この様な事は結構多くの歌の間で可能だったりする。

 この五七調の成立について、かつて大野晋(国語学者。私は、この方を本居宣長以来の業績で、本居宣長を遙かに超えると考える。かつて大野晋の下に付く事も考え、学習院大学 国文学科を第三志望に受験しようかと考えた事もあったが、私は文学自体には何の興味も無いので、もしものときのリスクを考え、諦めた)が書いた雑稿(文庫本に所収されている)で、「自分で試みてみたが、脚韻は日本語には無理」と書いていた事がある。が、今やラッパーの皆さんがその場でいとも容易く(と見えるだけかも知れないが)脚韻を鮮やかに踏んでみせる。自分の才や経験の範囲で、理論的な事を言うべきではない、って事例。


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<付記>

 なお、本居宣長は、古事記(江戸時代までの長い間、伊勢神宮に秘蔵されていた期間が長く、それまでの日本で一般的に知られていた文献では無かった。江戸時代でも本居宣長より前は、偽書論も根強かった)の音韻構成(アイウオエオの各母音に現在では甲音と乙音と呼ばれる2音ずつがあり、古事記の万葉仮名は、その別に従っている事)を以て、古事記が偽書でない事を示した。が、現在、古事記のこの表記は、きちんと甲音、乙音の別を示す部分と、そうでない部分(完全に従っていない訳ではなく、甲乙音の別が混濁している。原著者の別に拠るとする考えが一般的)がある事が判明している。また、古事記序文の不合理さ(後の時代の用語や事実などが入っている。これが偽書論の大きな論拠となっていた)は、そのまま。

 古事記が一旦成立した後に、後の時代などに編集(編纂。改竄)を受け、編集(改竄)された後の写本が現在に伝わっている可能性を否定し切る事は出来ない。