黄色い豚@日立柏酒場裏(ライブドア・ブログ公開版)

https://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda からhttps://reywa.blog.fc2.com/ (2019年8月29日以降の私のメイン・ブログ)に移行したデータを用いて、更に、ここに移行しました。 データの由来(成り立ち)の詳細は、http://reywa.weblog.to/archives/5241451.html を ご覧下さい。

カテゴリ: 未分類

 東京スカイツリー自体は、大きな注目を集める工事でした。その高さもさる事ながら、私が驚嘆したのは、2011年3月11日の東日本大震災にびくともしなかった事。私は、かつて工事中に大地震が襲った場合のリスクについて書いていた事があった「筈」なのですが、びくともしなかった(https://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60432147.html 参照)。

 東京スカイツリーは東武鉄道が主体となって建設したものですが、私は、かつての東京スカイツリー建設前の、北千住~浅草(就中、曳舟~浅草)間の閑散振りを知っています。通勤時間帯でも、曳舟~浅草間は乗車率100%(座席満席+釣革に一人ずつが、乗車率100%)に満たず、座席に座れるのが普通だった。浅草からの日光行きの特急(スペーシアが出来ましたが、私は、その前から知っている)の為に仕方なく繋げているかの様で、遊休資産化してました。全ては、浅草以南に直接繋がらず、乗り換えが必要だった為です。
 これを何とかしようと、日比谷線の通勤定期を持つ者に、朝の通勤時間帯だけ乗車を認めて、その対価として東京メトロ(当時は、営団地下鉄)から金を受け取ったり(この際は、乗車率は結構上がりました)、業平橋駅(現「とうきょうスカイツリー」駅。かつては貨物駅兼用)の地上部分にホームを設け、ここから快速電車を運行し、と同時に、当時、都営地下鉄+京成の駅としてしか存在していなかった押上駅との間に連絡通路を設け、乗り換えの用途を増やそうとしたり、と云った施策を行っていました。

 が、今では、東京スカイツリーを作った波及効果として、北千住~浅草間は、もはや遊休資産では無くなった訳です。それなりの乗客は稼いでいるものと思います。また、押上駅~曳舟は、東京スカイツリー開業前に、東京メトロ 半蔵門線として機能する様にもなっていて、直通運転されているので、その乗客もあり、立派に機能しています。

 ~~~ ~~~

 さて、東京スカイツリー周辺の整備は、東京スカイツリー完成で終わった訳ではなく、まだまだ続いています。単に、東京スカイツリーが出来た事による波及効果、って事ではなく、将来に向かっての投資としての公共工事。

先ずは、

(1)半蔵門線 押上~曳舟間の高架・立体交差化工事

 この件は、東京スカイツリーを継続して観察して来た、すたこら さんのブログ https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/ が追っています(直近の記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/37868347.html )。すたこら さんのブログは、2109年8月30日の更新停止、2019年12月15日のサービス停止で、そのまま無くなってしまう可能性もあるそうですが…残念な事です。
 どこかにデータを移しておいて欲しいとは要望していますが、こればかりは、私では何とも出来ません。

 最初からやっておけば…なんて思わない事もありませんが、きっと、当初、業平橋駅の地上ホームからの線路を流用したが故の、今になっての工事なんだろうと推測します。


 以下は、すたこら さんの記事に反応して書いたコメントにある事なのですが、将来的に私の記事に残す為にまとめておくもの

(2)隅田川テラスの連続化

 https://www.sankei.com/life/news/180607/trv1806070001-n1.html (2018年6月7日付)がソース。

 これをヤフー地図に落としてみると、次の通り。
業平橋ポンプ所_07
青色が新設される人道橋。緑色が、既存の橋へのアプローチの新設(今までは、橋の袂にアプローチが無く、一旦戻らなければ橋を渡れなかった、て事と推測)、黒色が「連続化整備を検討し、31年度までの完成を目指す」とされているところ。記事の日付が2018年6月で、完成時期は2020年3月の予定なので、もう、ある程度は工事が進んでいる筈。

 白河については、既存のルートで白川大橋を渡ってちょ、って事らしい。まあ、舟運(運搬船あり)もあるからね。


(3)隅田川に歩道橋新設。そこから東京スカイツリーまで歩行ルート整備

 根源ソース(同語反復だが…笑)か? 2018年3月23日付。 
https://www.city.sumida.lg.jp/sangyo_matidukuri/matizukuri/kasen_kyouryou/KitajukkengawaSumida.files/H290323_gikai_houkoku.pdf

 報道記事(2019年6月25日付)
https://trafficnews.jp/post/87342
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00010005-norimono-bus_all
https://www.excite.co.jp/news/article/Trafficnews_87342/
https://www.decn.co.jp/?p=108283 (歩道橋の施工業者を鹿島としており、https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/37863428.html の2019/7/2(火) 午後 8:01のコメントとの間に不整合が生じている可能性あり。その部分、誤報? それとも、丸投げ?)


(a)隅田川の東武鉄道鉄橋の南側に、隅田川を渡る歩道橋新設。東武鉄道陸橋は、スカイツリー・ホワイトに塗り替え
(b)北十間川(運河・旧。源森川区域)両岸にテラス新設。運河沿いを歩ける様に。
(c)東武鉄道高架下にホステル+店舗の複合施設が2020年春に開業(この前に、高架下の改修工事が済んでいる。その前は、倉庫や、車庫だった)

 私の懸念。

 (a)の橋、花火のときは、どうするのかな? 北側の花火は、東武鉄橋に遮られて見えないが、南側は見える。花火の際に、落ちません様に…(祈)。

 (b)の運河部分(旧・源森川区域)、隅田川との間の水門とスカイツリー川の樋門に遮られて、流れが無い筈で、以前の記憶では水も汚かった様な…大丈夫か? 水門を干潮・満潮に併せて開け閉めすれば、水は交換されるのか?

 また、根源ソースとしたものの図(以下に掲載)では、階段状船着場を設ける事になってるが、この船、どっちに行く? 隅田川だと、運行は、潮の干満に応じての隅田川水門(源森川水門)を開閉する時間帯と関係するだろうし、北十間川の東京スカイツリー側に運行するとしたら、樋門を通過する事になる。樋門から先(東側)は結構な距離、上に覆いがあります(公園になっている)。ここを潜(くぐ)れるの? 上の図だと、覆いが見えない。撤去する?
7100efd1.jpg

 どう運用する積もりなのかな?

 (c)に対しては、上の(b)の点以外には、大した懸念は感じないけど。全ての施設が、南側の北十間川(旧・源森川)の方に開くのかな?北側の方に全くアクセスが無いと、そっちは裏寂れたままになる。特に、以前の様に車庫や何かで見通せる状態だったのが、新設施設で遮られる様になるので、少し心配。

上の根源ソースには、「コミュニティ道路整備」とある。キレイにするだけ??? それとも、そっちにもアクセス出来る様にする?


 この件についての、すたこら さんの記事は多く、
https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/37861028.html
https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/37863428.html
https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/37864595.html
https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/37867177.html
https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/37867666.html

など。


(4)小梅橋架替。北十間川(旧・源森川)のテラスと接続。大横川公園とも接続

 上の「根源ソース」としたものに、こうあります(右下)。 
業平橋ポンプ所_05
ここの部分が、小梅橋架替の説明と思われます。

 ついでに、上の図を併せ見てみると、大横川公園との間が連続するものと思われます。親水テラス経由で、なのかな? 図での幅が違うので、+歩行者用通路なのか、歩行者用通路だけって事かも知れませんが。

 この橋は、もともとは狭いものだったので、歩行者と自動車の接触が心配されるものだったのですが、大きな計画の下、架替が行われているらしい(まあ、役所が得意な作文、って要素もあるかも知れんが)。


 この件についての、すたこらさんの記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/37867739.html など。


(5)業平橋ポンプ所を巡る工事

 これは恐らく、業平橋ポンプ所だけでなく、あちこちの雨水関連のポンプ所で行われてるものの一環としての工事と思われます。ここについても、すたこら さんは、既に2014年6月の記事 https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/33781772.html で触れられています。が、私が見ていない時代のものだったのか、もしくは触れられていても、こんなに大きな計画の一環だと思わなかったのか……私の記憶には残っていませんでした。

 これについては、動画 http://mediastylist.sekiguch.com/narihira/narihira.html が、結構網羅的な説明をしています。

 が、この業平橋ポンプ所の工事に先立って、業平橋ポンプ所の放流先を、隣の北十間川から隅田川に変更する為の放流渠の工事が行われていた事が分かります(上の動画では、既存のものとして説明されています)。

 経路は、http://jcma.heteml.jp/bunken-search/wp-content/uploads/ronbun/2006/016.pdf に次の図があります。南が上になっているので、ご注意を。
bb7ba8f0.jpg

公共の道路の下を通る必要(補償費用の関係)から、途中で曲がっています。軟弱地盤の上に、源森橋や東武鉄道の下を通る形なので、慎重な施工が求められていた事が分かります。博多の地下鉄工事の様な事が起きれば、下手すりゃ、トンネルは水没、橋は崩落、鉄道寸断、なんて事になりかねませんからね。

 仕上内径 5mの放流渠を、立坑(調整水槽)深さ45mから、最大勾配 +199.93‰(水平方向100m当たり19.93m上昇)で水を持って行くと記述されてます。重力に従うのと、従来の北十間川(隣の川)への排水口を廃止したので、で、この放流渠+業平橋ポンプ所だけでは、水は自動的に全て排出される事は無い経路です。

 この経路を上下方向に示した図として、上に示した動画の中に次の様な画像が見えます。
05b42c4f.jpg


b7560790.jpg


 放水口から下の部分の水を、どう排出するのか?気になるところです。

 これは概略図なので、ストロー状の吸い出し口がどこかにある筈だろうと思うのですが(この為の施設が、既設調圧水槽の隣にある「返送ポンプ室」ってものなのでしょうか?)。

 この工事については、

2005年11月13日 業平橋ポンプ所放流渠工事 見学説明会(墨田区 吾妻橋3丁目)
http://azuni.jpn.org/newpage18.html

なんて記事もあります。
 私は、埼玉県 春日部市にある龍Q館から見学に入れる、首都圏外郭放水路(主に、国道16号線の地下を通る)に見学に行った事もあるのですが、同じ様なものが東京の地下にも通っていた訳です。

 なお、この業平橋ポンプ所には、北十間川の北側からも雨水が流れ込む様になっており、その流路は、北十間川の下を通っているそうです(http://www.gesui.metro.tokyo.jp/living/constructioninfo/current/107/ から見れる「業平橋ポンプ所施設再構築その5工事」の「地図」を見て下さい)。そして、上の動画を見ると、どうやら、業平橋ポンプ所から吾嬬第2ポンプ所(と思われます)までも放水渠を通す計画がある様に見受けられます。

 すたこら さんの記事 https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/33781772.html の上から6番目の画像(下から3番目の画像)に見られる様に、墨田区は東側の方が地盤が低い(地盤沈下の所為なのか、もともと、こうした地形で、全体が地盤沈下してるのか)事も関係しているのかも。

 業平橋ポンプ所は、主に雨水対策(汚水との合流下水道の場合もあるでしょうが、大雨の場合の対応)の施設で、組織上、東京都下水道局の東部第一ポンプ保全事務所(両国ポンプ所の中にあるのか、併設されているか)の下にあります(http://www.tgs-sw.co.jp/business/water/c01/c07/ )。通常だと、下水道事業は、市町村の業務ですが、東京都の場合、都が行っています(民営化された「東京都下水道サービス株式会社」があり、下水道局との関係は、私にはよく分からない。全て民営化されたのか、監督局としての下水道局が存続してるのか、も)。業平橋ポンプ所と両国ポンプ所(東京都江戸東京博物館と両国国技館の間にある)との間には、公衆回線ではない光ファイバーケーブルが敷設されていますので、恐らく業平橋ポンプ所は両国ポンプ所から遠隔操作されているものと推測します。

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<参考情報>

 過去のシールド工事などについては、http://shield-method.gr.jp/achivement/ (シールド工法技術協会)から
http://shield-method.gr.jp/wp/wp-content/uploads/achievements2017.pdf (1997~2007年度実績表;1937件)などを見ると、一覧にされています。余りに膨大なデータですが(笑)。


(6)東京スカイツリー本体も、照明灯を増設し、照度増強へ(2019年5月16日~2020年3月頃)。

 すたこら さんの記事https://blogs.yahoo.co.jp/skytree_sasaki/37837291.html など。
 

 FC2コミュニティ「質問・疑問」での以下のトピックに情報提供をしようとしたところ、1,000文字が上限との事で、文字の削減を求められました。推敲するのも面倒なので、記事としてUPし、元スレッドの方には、この記事のURLを掲載する事とします。


<元の質問>

トピックのタイトル:ヤフーブログからFC2ブログへのブログ移行について処理結果との違い

トピックの投稿日時:2019年06月09日 14:54

投稿者:蜂蜜の嵐 さん

投稿内容:

ヤフーブログからFC2ブログへのブログ移行について疑義が生じました。
元のブログ件数が非公開、友だち限定記事等を除いても21500件あまりあります。
処理結果と異なるため調べてみると書庫 平成26年01月と書庫 平成25年12月までの記事が全公開しているにも関わらず移行されていないのです。移行処理をお願いしたところ
どうしたら対応できるか困りは果てています。皆さん方の回答をよろしくお願いします。
完了通知が来ましたが、
この度は、FC2ブログインポートツールをご利用いただきありがとうございます。
次のブログのインポートが完了しましたのでお知らせいたしますとの回答がありました。

引越し元ブログ : http://blogs.yahoo.co.jp/tmtmtm111263
引越し先ブログ : http://tmtm111263.blog.fc2.com/
------------------------------------------------------------
■インポート処理結果
・インポート元ブログサービス     blogs.yahoo.co.jp
・インポート元ブログ記事件数     11950 件
・インポート成功記事件数       11950 件




<私が回答として書こうとした内容>

もともとのヤフー・ブログが転送設定されているので、きちんと確認出来ませんが、以下の様な可能性も考えられます。私は、初心者に近い者ですので、ごくごく基本的な「不審点」を指摘するに留めます。回答ではなく、情報提供とお考え下さい。


(1)実行日時はいつでしょうか?

 と訊くのは、2019年3月初旬と2019年5月初旬の間に、FC2の移行プログラムの変更が行われているからです。見た目の適用テンプレートの違いだけでなく、バッチ型の手続きだったものが、記事毎にプロセスを回す様に変わりましたし、移行先の記事の番号も、かつては新しいものから順に振っていたのが、古いものから順に振る様になりました。その他には、コメントが移行出来る様になった、など。

 もしかしたら、プログラムの変更の時間的な狭間に落ちてしまった可能性もあります。

 これに該当するか否かは、記事番号の振り方(URLのenntryの後の番号。記事一覧でも#を押す事で表示出来ます)を探ってみると、分かるかも。記事の番号の振り方が異なっていれば、プログラム変更の時間的狭間に落ちた可能性がある、って事になります。

 質問者の蜂蜜の嵐さんのブログ記事の場合、FC2での最新の記事の番号は、2019年6月4日のいくつめかの記事に、11950てのがあります。一方、一番古いものを見ると、2014年2月4日に1がありますので、プログラムの方では、2014年2月4日の記事を一番古いものとして捉えたって事になります。適用テンプレートをいじっていないとすれば、新規の移行プログラムで作成されたブログと判断出来ます。

 この記事の並びからは、移行の処理の実行日時は、2019年4月30日を含む、その後のいずれかの日であるとは判断出来ますが…。


(2)ヤフー・ブログの方で、一時的に閲覧を妨げる様な事が無かったか、どうか。

 FC2の移行プログラムは、いくつかの証拠から、明らかに、ヤフー・ブログを画面に表示させて閲覧する作業を繰り返してデータを取得している事が窺えます。

 そこで、2014年(平成26年)3月1日以前の記事が一時的に閲覧出来なくなる様な事が発生したか、否か? 閲覧の障害が発生した場合、そこまでで記事データの取得を止めた、って可能性があります。(3)に書いた事を考え合わせると、データ取得作業中に記事の修正をしていた可能性があるのか、否か…。


(3)それ以外の何かのプログラム・ミスの可能性があります。

 私も特定の記事「だけ」移行されていない事(その記事を飛ばして連番になっていた)に気付き、調査を進めていたところ、突如、記事が出現した事がありました(連番振り直しっぽい)。理由は、全く不明。考えられる理由の一つは、移行の記事データの取得途中に記事の修正をした可能性がある事くらいです。FC2からデータを更に移行すべく作ったエクスポート・ファイル(MT形式のファイル)には存在していたので、私の見間違の可能性も。

 但し、これは調査をしていた途中の話ですので、私の確認ミスの可能性もあります。

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 回復方法としては、質問主さんがhttps://tmtm111263.blog.fc2.com/blog-entry-11949.html (転載記事ですが)に書いてあった通り、もとのヤフー・ブログを転送設定せずに残してあれば、再度、別のFC2ブログに転送設定をする事で、よりまともな転送が出来た可能性もありますが、既に転送設定をなさっているので、この方法では回復出来ません。

 この漢字「亰」については、かつても、当ブログの中の、どこかで書いた事がある筈なんだけど、探し出せない。でもって、この漢字の使用について、結構な事が、その後、分かったので、書き継いでみる次第。

 ちなみに、小さいままだと、分からないだろうから、大きく表示。
亰
通常の東京、京都の「京」は、小の上は口なのですが、ここが日になったもの。

 私が、この字を知ったのは、1970年代末から1980年代半ばの頃の岩波書店広報誌「図書」だったと思います。その記事(誰かからの寄稿だった筈)では、昔「東京」を「東亰」と書き、トウケイと読んだ、って書いてありました。曰く、「偽りの京(みやこ)」としての意識から、との事。
 東京をトウケイと呼んでいた事は広く確認出来ます。簡単なものは、浮世絵。明治時代になって、日本土産としての浮世絵が外国人相手に売られました。所謂「横浜絵」なんかが、それに当たります。そこに、外国人向けの日本土産と云う性格もあり、アルファベットが書かれている事もあります。そこに、Tokeiって書かれているものがあるんです。

 …でもね、京都だって、初代 広重の浮世絵版画「保永堂版 東海道」(浮世絵記載のシリーズ名称は「東海道五十三次之内」、別にハンコの様な形で個々の版画の名称)では、京師と書かれてます。読みは、音読みでケイシ。当時は、日本語には正書法が無く、同じ表記を音読みでも訓読みでも振り仮名が振ってある例などもありますから、訓読みでは「みやこ」と読んでいたかも知れませんけどね。
 つまり、ケイ(シ)と読んだからと云って、ケイシ(軽視)したものとは言えない、って事。

 明治時代は、殊更、日本語の表記が混乱した中で統一に向かおうとしていた時代で、もしかしたら、トウケイのケイには、「偽りのみやこ」との隠された意味が意識されていた可能性もありますが、日本の歴史を通じて見れば、京をケイと発音していたからと云って、それが軽視の現れではない、ってのは、ほぼ確実な事として言えます。

 また、私は、上記の様な記憶があったので、美術品の中での亰(小の上が日の方)の字の出現には殊更注目していたのですが、東京国立博物館での「タイ~仏の国の輝き~」展(会期:2017年7月4日~2017年8月27日。https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1848 )で、今のベトナムのトンキン(東京)に、この字を使っているのを見ましたが、同博物館 本館2F 2室(国宝室)で2017年8月29日~2017年9月24日の会期で展示された「一遍聖絵 巻第七」でも、この字(亰の字)を使っているのを見ました(http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=4967 )。ここでは、京都の京の替わりに亰を使っているので、別に偽りとかの意味が無く、京と全く同じ様に使われているのは明らか。

 そして、決め手は、藤原 定家・筆「更級日記」(定家による写本)。ここに、みやこの意味で(=京と同じ意味で)亰の字がありました。東京国立博物館で2019年5月3日~2019年6月2日の会期で開催された特別展「美を紡ぐ 日本美術の名品 ―雪舟、永徳から光琳、北斎まで―」での展示で、です(https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1942 宮内庁三の丸尚蔵館・所蔵)。https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1942 に画像もあり、それを加工して、亰の部分を示したのが、これ。
721dd55e.jpg

これで、亰の字が、京と全く同じ意味で使われていた事が明らかになった、と考えます。

 なお、検索してみると、http://kanjibunka.com/kanji-faq/jitai/q0176/ (大修館 運営のページ)などの記事も見つかります。

 2019年6月2日に、私が国道252号線を新潟県 魚沼市から、福島県 只見町に掛けて車で走った事は、

タニウツギ(谷空木)(?)の花
https://reywa.blog.fc2.com/blog-entry-5157.html
(2019年6月6日UP)

にも書いた事ですが、その中で印象的な風景を撮影した画像から。

 先ずは、福島県に入って直ぐの展望駐車場から。この展望駐車場自体には、恐らく、チェーン着脱場や、雪の退避場所などの意味があるものと思います。

d7a9793e.jpg

パノラマ写真として撮影した画像の一部をトリミングしたもので、次の地図(ヤフー地図を利用)の左側の赤い○の位置から撮影。ここからは、ダム湖である田子倉湖の下流部(ダム側)も、上流部も見渡せる筈なのですが、どちらが写っているのか、は不明。が、撮影したときは、ダム湖のダム側だとばかり考えていました(今では、上流側である可能性が高いと考えています。上流側だとすれば、左側の雪の残っている山は、<大川>猿倉山と云う事になります)。
bc1c1cc1.jpg



一番上の画像の左側には、スノーシェッド(雪崩から車道を保護する為の、コンクリート建造物としての覆い)の入り口があり、オリジナルの画像には写っていたのですが、ダム湖とスケール感(縮尺)が違い過ぎ、そちらに着目した適当な大きさにすると、ダム湖がやたら小さくなり、ダム湖に着目すると、スノーシェッドがやたら大きくなるので、トリミングで除いちゃった次第。

 上の地図の左側から2番目の赤い○のところから、撮影。これはダム湖(田子倉湖)のダム側が写っている事は、撮影位置から明らか。
5f2b4c36.jpg

ダム湖の水面が、山の尾根を挟んで2つ見えている事に、心惹かれました。画像の左側には、私が当初「ダムの本体か」と疑った建造物が小さく写ってます。画像をよく見てみたら、国道252号線かJR東日本 只見線かのスノーシェッドでした。ダム湖の水面だけに着目すれば上の画像の左側はトリミングで除いた方が「構成的に美しい」とは思ったものの、残してあります。

 山の重なる様子にも心惹かれました。どこまでの山が写っているんでしょう?意外と、只見町内の山だけで構成されちゃってるのかも。

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 次は、画像「の美しさ」としちゃ、特にどうでもいいもの。

 J-POWER只見展示館脇(上の地図の緑色の○の地点)から。只見展示館は、田子倉ダムの下流にある只見ダムの脇にある施設。
58822903.jpg


見えているダムは、田子倉ダム。その上に見えている山は、観音様の寝ている姿に例えられているそうです。観音様が横向きに寝ているのか、上を向いて寝ているのか、は各人の想像の中で(笑)。
 観音様は、2つの山容(どちらも雪が被ってます)で構成されていて、左側が猿倉山、右側が横山なんだそうです。雪に完全に覆われると、猿倉山がぷっくらと見えて、観音様のはっぺたに見える様です。つまり、観音様が上を向いている状態として、「観音様の寝ている姿」に例えられているそうなのです。

 私は、この画像の替わりに、只見展示館にあった「林 明輝 写真集 自然首都 福島県只見町の四季」(平凡社 2015年)のp.92を、見ています(只見展示館で通読して帰宅後、Amazon経由で古本を購入しました)。

 2019年6月2日、新潟県(前日に、新潟県柏崎市の実家に立ち寄っていました)魚沼市から福島県只見町(柏市の交流自治体です)まで国道252号線で走りました(J-POWER只見展示館で数時間を過ごしていました)。その際、国道252号線の福島県側で特に目に付いた樹木の開花がありました。

 こんな具合。
5a920af9.jpg


5ac58990.jpg


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下2枚の画像は、只見ダムの上流にある田子倉ダムによる田子倉湖畔でのもの。

 桜の1種の様にも見えたのですが、田子倉ダムから只見ダムに下って行く道で、この樹木と思われるものの花に近い、駐車場(恐らく、除雪車の退避やチェーン着脱の為のもの)があったので、車を停めて、見てみました。

 桜じゃなかった!
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新潟県から福島県に入るところの駐車場(トンネルの前のチェーン着脱場)には、まだ雪が残っていたので、桜の可能性を楽しみにしていたのですが。

 後で色々検索してみたところ、タニウツギ(谷空木)ってものではないか、と思われます。

 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/タニウツギ に拠ると、スイカズラ科タニウツギ属に分類される(この樹種は、蔓性ではありませんでした)もので、田植えの時期に花が咲くので「田植え花」としても知られるものだそうです。桜も、田植えの時季に咲くので、サ(早乙女などの言葉にも見られる、稲の古語)+クラ(場所の意の古語。磐座<イワクラ>などの語に残る)から来たと言われており(稲の神の居場所とされた)、同種の意味をも持つ樹ではありました。
 なお、タニウツギの民俗学的意味については、http://www.m-sugi.com/40/iwai40.htm が詳しく記述していて、参考になりました。

 その他、この同じ特定の1本の樹を撮った、各種画像。85ce1797.jpg


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 この日は、2017年10月に通った際は夜になってしまった、南会津町~日光市~矢板市(国道289号線~国道352号線~国道400号線~栃木県道30号線)を経由して帰って来たのですが、南会津町では、サツキではなく、ツツジではないか、と思われる各種の花が咲いていました。千葉県 柏市の自宅に帰り着いたら、ツツジではなくサツキの花が「今が盛り」と咲いていました。柏市では、ユリも咲いていました。

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